「釘崎さーん、どうぞ…」
9番の受信室の扉が開き、白衣の天使が私を手招いた。
私は腹をくくって立ち上がり、少し重たい足を扉の向こうへと運んだのである。
そう、今まさに私は『骨髄液』を抜かれようとしている…
それはいつになく汗ばむ5月の昼下がりの出来事だった…。
ご存知の方も少なくないだろう。実を言うと私は『持病』を持っている。
病名はと言うと、わかりやすくいえば『腎臓病』だ。
難しく言えば『巣状糸球体硬化症』といい、その世界では通称『FGS』とも言われているようだ。
腎臓病の中でも完治は難しいとされており、
未だ明確な治療法はないという少々厄介な病気なのである。
末は透析…と覚悟しながら、終わることのない通院生活をしながら日々暮らしている…。
病気が発覚したのは私が幼少の頃、まだ6才ぐらいだっただろうか。
意味もわからず近くの町医者によく通った覚えがある。
そんな生活が過ぎ、後に小学2年生から5年生まで車で1時間ほどの総合病院で
2年半に渡る長期入院生活をおくることになる。
一度は退院したものの、完治することもなく検査入院等を繰り返しながら青春時代が過ぎる。
そして徐々に病気であることも半分忘れ、ある意味ほったらかしで20代を駆け抜け、
結婚、そして子供も授かり、ささやかながらも幸せに暮らしていた。
しかしいくつかのきっかけが重なり、8年前に再度入院することになる。
それ以来お世話になってる病院に今は二ヶ月に一度というスパンで通院している。
それが今の私の生活スタイルなのだ。
ここ8年、病状はほとんどあいも変わらずで、いつものように血液と尿の検査をし
「まぁ、様子みましょうか」の先生の言葉と2ヶ月分の薬をもらい、何事もなかったように普段の生活に戻る。
といった言うならば『マンネリ通院』状態が続いていた。
そして、今回も『いつものように』のつもりで病院へ行き、『いつものように』帰る、はずだった・・・。
朝一番、病院到着後すぐの採血、尿検査。結果を待つ間の茶店での一服。
そして先生の受診。ここまではなんらいつもと変わらない流れだ
「12時までには帰れるな…。」
と時計をチラ見して私の受診の番がきた。
「毎度です。」と丸椅子に座り先生の受診が始まった。
だが、パソコンを見る先生の態度が妙にいつもと違う。
「なんかあるな、こりゃ」そう直感した私は「昨日ビール飲み過ぎるんじゃなかったなぁ…汗」
と若干の二日酔いの体調を後悔しつつ、先生の言葉を息を飲んで待つことになる のだった…
第二章へ続く